名古屋大学法学部小論文2019 解答例
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問1
権利保障説とは、法秩序を維持し、当事者の権利を保障することに「裁判」の本質があるという立場である。対して、法創造説とは、裁判によってはじめて真に拘束的な法が作られ、当事者の権利・義務が想像されるという立場である。しかし、法創造説は議会の立法する法律の役割を軽視し、裁判官という一国家機関に直接の法創造機能を認め、法治国の理念がなくなるため、権利保障説が再び要請されるのである。
しかし、法創造説が裁判ないし訴訟が現実にどう行われているかという経験的事実のレヴェルでの問題であるのに対し、権利保障説は裁判ないし訴訟はどうあるべきかという理念の問題であり、理論的に相互矛盾するわけではない。
その上で、裁判制度、訴訟制度の目的・機能が法や権利を超えた紛争の貢献的解決という社会の本能的機能に存すると考えれば、裁判における紛争の公権的解決は法制度自体によっても承認されている以上、単に経験的な事実だけでなく、明確に法規範によって承認された理念の世界の事柄でもある。(427字)
問2
裁判官による和解の歓試という営みは、裁判が目的とするのは必ずしも既存の法律の正確な執行というわけではなく、具体的紛争の最も適正な解決という命題の正しさを裏書きする。裁判官は、専ら目の前にある個別的・具体的事件の事実関係を前提として、その紛争をどう解決するのが最も適切かという見地からなされており、裁判の判決は裁判官たちの良識の結果であると筆者は考えている。
しかし、私見としては、裁判官の現実の行動規範である良識が本当に法適合的かは疑問である。
地裁、高裁含め、裁判官の下す判決が民意に反して間違ったものであることは生じうるし、時々指摘される。例えば、性犯罪事件では女性の同意の有無について、反抗を抑圧された状態の同意を鵜呑みにして被告人が無罪となることがある。また、重大で残忍な犯罪において、判例をもとに判断する裁判官により課される刑が民意に反して過小すぎることも指摘される。これは、裁判官の良識が国民の良識の産物たる法と合致しない場合もあることを意味する。
ここで、裁判員制度で裁判官の良識を国民の良識とすり合わせることができるという反論も生じる。国民の良識を裁判に反映させ、法の専門家たる裁判官たちの良識と国民の良識をすり合わせる目的で導入されたものが裁判員制度である。しかし、日本では裁判員裁判は一部の刑事事件に限定されており、裁判官の良識の法適合性を保障することにはならない。
よって、裁判のあるべき姿を国民の良識と裁判官の良識が合致した公正な裁判であると捉えると、裁判員裁判をすべての裁判において実施する必要があると考える。少なくとも、すべての刑事裁判で裁判員裁判を実施し、和解の多い民事事件においては、国民の良識を反映させるため、特に家族法や相続法の範囲で実施されるべきである。
したがって、裁判による紛争の公権的解決が単に経験的な事実の次元にとどまるのではなく、法制度や国民の良識によって承認された当為の次元で機能するためには、裁判員制度をより広く適用する必要があると考える。(841字)
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